小柳博彦・ヨーロッパ転戦記
〜ヨーロッパ、馬と家族で8万キロ(2)〜
 
 2000年12月には周囲の反対を押し切り、生後7ヶ月の息子を飛行機に乗せ、ウィーンで乗り継ぎ、北ドイツ、ハノーバーまでの旅をしました。エコノミーの一番前にある壁にバシネットという幼児用ベッドを取り付けてもらい、彼はご機嫌でした。
その時は山のような荷物をかつぎ、難民のごとき有様でトランジットのウィーン空港では、不審な目でじろじろ見られてしまいました。



グレンメルばあさんと辰  住みついたのは、ハノーバーから南へ40kmのブルグステンメンというところ。住人はみな親戚か知り合い同士、あるのは教会と砂糖大根と麦の畑だけという超田舎村でした。厩舎から歩いて10分ほどのところに、イギリスのB&Bのようなものがあり、その離れを借りることができました。少し家賃は高かったのですが、家具付きなのと、大家グレンメル夫人が戦後一時期イギリスに住んでいたことで英語が堪能、私たちのつたない英語でも何とかなったことが助かりました。なにしろ我が田舎村で英語を解するのはその大家一家の人しかいなかったのです。
グレンメルばあさんはひ孫がほしかったらしく、私たちの息子を本当にかわいがってくれました。 2003年9月に家内と息子がドイツを引き揚げて帰国する時には、老夫人自ら17年物のメルセデスを駆って空港まで送ってくれたほどでした。しかしそのわずか一ヵ月後、突然に彼女はこの世を去ってしまいました。当時私はまだドイツに残っていたのですが、このことを思うと今でもなんとも言えない気持ちになります。



 さて話は前後しましたが、2001年春になり厳しい寒さも峠を越え、いよいよ競技シーズンの始まりです。
毎週競技会に出場すべく、エントリーも済ませて練習に励んでいた矢先、突然、振って沸いたような口蹄疫騒ぎ。ほとんどの競技会はキャンセルになってしまいました。競技会どころか家畜の輸送が前面禁止となる非常事態でした。肉類で生活しているこちらのことですから、かなり真剣な防御体制をとったようです。
ようやくその疫病も収まった夏ごろ、私の馬2頭が厩舎衛生管理上の問題で肺炎になってしまい、転地療養、引越しをせざるを得なくなりました。



はじめての乗馬  今度は南ドイツ、ミュンヘンから2時間、オーストリア国境に近いバイエルン地方です。 ハノーバーからは800kmの大移動でした。増えてきた家財道具だけでなく馬2頭と幼児も一緒です。 生き物すべてと荷物の一切合財を乗用車とそれでひっぱる馬輸送トレーラーにつめこんで片道800kmを往復すること3回。 馬を運んでいる途中、パトカーに追いかけられ、 スピード違反の切符を切られたことは、今となっては懐かしい思い出です。
ここは保養地であったため、あまり使っていない別荘を借りることができました。 真冬でも充分な床暖房で、Tシャツ一枚で過ごせるほどでした。空気もよく、 馬たちの健康は回復し楽しい生活でした。
ドイツ人のトレーナーを雇い、 練習をみてもらいながらたくさんの競技会に出場し、気持ちのよい南ドイツを駆け回りました。



DUZI号との競技  2002年初夏、いま少しのレベルアップを願い、ドイツ人トレーナーと別れ、 また元の厩舎に戻りました。 再び、北ドイツの田舎村ブルグステンメンです。
バイエルン時代に仲良くなったオーストリア馬術連盟からの招待で 何回かそちらの競技会に行きました。片道1000kmはあります。 馬輸送トレーラーを引っ張っての移動は大変でしたが、 知り合いもでき、楽しい遠征でした。










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京都保事協ニュース 2005.2月号 No.535掲載


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